江戸時代の元号がよく分からないです
みなさん、こんばんは。
江川太郎左衛門でございます。
みなさん、よく時代劇や大河ドラマを観ていて、
「享保12年」
と言われても、
結局、どの時代かわかんねーよ(;´Д`)
と思うことがありませんか?
例えば私、太郎が生きた江戸時代は、
元和、寛永、正保、慶安、承応、明暦、万治、寛文、延宝、天和、貞享、元禄、宝永、正徳、享保、元文、寛保、延享、寛延、宝暦、明和、安永、天明、寛政、享和、文化、文政、天保、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応。
……(゜-゜)?
どこかの鉄道の停車駅かな……?
(江戸の元号からお借りしました)
253年の間に35回も変わりすぎじゃね!?
(ちなみに元号全部打っていて何度か投げ出そうとしました)
ひとつの元号で4年で終わったのが9回、5年で終わったのが5回。
中には2年で終わった元号もあります(元治)
簡単に言うと、江戸時代は元号が変わり過ぎなのです。
聞けば昭和という時代は64年も続いたと聞いてびっくりしています。
江戸時代の元号で一番長かったのは、21年の寛永と享保のみです。
長く続いて21年だったので、江戸時代の元号のコロコロと変わる様子は想像しやすくなったと思います。
そりゃあ、令和に生きる人は、結局その元号が江戸時代のどの辺か分からないわけですよ。
なんなら、当時の人だってわけが分かっていなかったのではないかと思います(中の人の個人的な意見です)
だから江戸時代の人から見ると正直、
やら、
なんていちいちやっている場合ではありません。
ましてや
「平成が終わるぞーーーー。いえーーーーい」
なんて騒ぎを4年ごとにすることになります。
こんなのどうですか?
……意外に楽しいのかな?
そして肝心なのが、どうしてこうもコロコロと元号が江戸時代は変わってしまったかという理由です。
現在の元号は、平成以外は天皇の崩御で変わることになっていました。
しかし、江戸時代は元号が変わるきっかけは、災害や革命が起きたので、良くないことが起きたので
「よぉーし。気分転換に変えちゃお★」
みたいなノリで変えました(超要約すると)
ちなみに、
正保(しょうほう)は焼亡(しょうぼう)に似ているや、
明和(めいわ)は、明和9年が「迷惑年(めいわくねん)」
みたいに不吉だー!とクレームが入ったので変えちゃったみたいです。
いつの時代もクレーマーがいるのだなと思ったり、でもそのぐらい江戸時代の人は語呂合わせやゲン担ぎを大事にしていたのではないかと思います。
というか、そんなにコロコロと元号を変えていたら、そういった語呂の悪いものも出てくるだろうとツッコミたくなりますね。
話は逸れてしまいましたが、
今、コロナという疫病が流行っている最中、これがもし江戸時代の感覚でしたら、即改元ですね。
聞けば、元号が平成から令和に改元するときに、様々な業界の人たちがその対応に苦労したと聞いています。
またすぐ改元するなんて言われたら、それこそクレームものだと思います。
なにはともあれ、早くコロナという疫病が早く収束し、楽しい令和の時代を過ごせる日が来るといいですね。
どなたさまも素敵な夜を過ごせるようにお祈りいたしております。
では、また。