半沢太郎でございます
みなさん、こんばんは。
江川太郎左衛門でございます。
久しぶりの更新となってしまいました。
甲州と言えばこんな思い出があります。
それは天保7年、西暦1836年のことです。
まぁ、すごい簡単に言ってしまうと……
甲州のお偉いさん方が癒着して、米の価格が上がり、市民が
「ふざけんなごらぁあああ」ってなって暴徒化したって感じです。
(画像はもちろんイメージです)
しかも、天保の飢饉という、お米が取れないから、食べる物がないという今の日本じゃ絶対にありえなさそうなことも起こってしまい、
ただでさえ、ご飯がないのに、お偉いさん方が悪いことしちゃって市民を苦しめているものだから、タイミングがとっても悪かったのです。
「さらに、さらに、ふざけんなぁぁああああ」
(もちろん画像はイメージです)
そんなことがあり、私、江川太郎左衛門は甲州へ向かい代官たちの不正を暴きに甲州へ出かけたのです。
お偉いさんたちの不正を暴くドラマが流行っていて、もうすぐその第2シリーズがやるみたいですね。
「クソ代官どもめ、覚えていやがれ!」
で、ここからが半沢直樹に負けないぐらいの太郎の策があって、
私は韮山県の県知事でもあるので面(かお)がバレているので不正を暴きに来た目的ならば、警戒され、証拠が出てきません。
そこで、刀売りとして変装することにしました。
どうでしょうか?
どこをどう見ても刀売りの太郎です。
ちなみにこの絵は太郎が戯れ、つまりイタズラ書きの気持ちで描きました。
令和の学者さんからは「戯れにしちゃうますぎるだろ!」とツッコまれます。
恥ずかしい限りです。
兄弟子なのに家来にしちゃったというツッコミどころ満載の関係でもある齋藤弥九郎くんと一緒です。
何かあったときの為に鉄砲も10挺持っていきました。
そうなんです。
拙者若存命ニ帰国いたし候ハ
「私がもし無事に帰ってきたならなぁ……」
とバレてしまったら本当に殺されるかもしれないので、相当な覚悟を持って行きました。
というか、ただでさえ忙しいのに、なんで私はこんな命がけのことをしなければいけないのでしょう。辛いです。
9月に私は無事に地元に戻り、しっかりと証拠を押さえてきました。
そのときのお偉いさんの新見建三郎、松岡正平が詫びを入れました。
(やっぱり画像はイメージです)
これでやっと事態は収拾し、「良かったー」という日記を書きました(まぁそういう文献が残ってたということです)
みなさんどうでしょうか?
太郎の半沢直樹版は。
それにしても、新シリーズの半沢直樹が楽しみですね。
どなたさまも素敵な夜を過ごせるようにお祈りいたしております。
では、また。