太郎は日本で初めてパンを作りました
みなさん、こんばんは。
江川太郎左衛門でございます。
今日はパンを作ろうと思います。
そうです、あのパンです。
実は私、日本で初めてパンを作りました。
え、マジです。
本当です。
知らない人はたくさんいると思いますが。
さて、なんで今日は日本で初めてパンを作ろうと思ったのかを、書こうかと思います。
私は江川塾というものを開き、まぁ、色々なことを教えていたのですが、中でも戦術、戦い方、なんてのも教えていました。
令和の今ですと、コンプライアンスというものに引っ掛かりそうですね。
伊豆の山や箱根に行き、イノシシやシカを敵ということに見なし、実弾射撃をしました。
陣地を決め、雨風でもやり、1~2か月やるという、なかなか本格的な、厳しいことをしていました。
で、この訓練の問題は食料です。
いや、訓練だけに留まらず、本当に敵が攻めてきたときに、食料の調達が大変難しくなります。
そこで西洋の食事であるパンに目をつけました。
パンならば、おにぎりなどの米よりも日持ちしますし、また夏などの高温でも腐りにくいではありませんか!
こうして、私は戦いになったときの為の食事としてパンを作ることにしました。
ちなみにこのときのパンは、今のようなパンではなく、乾パンと呼ばれているものです。
あーーー!私の名前はwikipedia殿にあったじゃありませんか!
見て下さい!嘘じゃなかったでしょ!
ちなみにこの応用として、乾パン粥というものも作りました。
乾パンにお湯を入れてふやかして食べるものです。
味は……(すいません!今度試してみます!中の人より)
更に余談ですが、
自衛隊で働く人の話によると、訓練中などに乾パンが出たら最後と思うらしいです。
何が最後なのかは聞き忘れましたが、私のイメージですと、四方を敵に囲まれ、救援物資も届かずに、本当に本当にヤバいときに出るのが乾パンなのではないかと思います。
そういえば、避難袋の定番も乾パンですね。
乾パンのイメージがあまり良くないです。
乾パンの話を書いていたら、なんだか食べたくなってきたので、今からスーパーに走ろうかと思います。
平時の乾パンだって美味しいですよ。
どなたさまも素敵な夜を過ごせるようにお祈りいたしております。
では、また。